2019年3月3日 ヤフーブログより引っ越し




ども!生来のひねくれ者なので・・・

橘ファンの方・・・簡単に「その3」へはいきません(笑)

お楽しみにしてた方(いるかどうかは不明ですが・笑)すみません・・・。

って事で、本日のネタは

「東の平」

・・・「で、それ何?」と言う声がまた聞こえてきそうですが、
この「東の平」・・・「ひがしのたいら」ではありません、「あずまのたいら」でもないですからね!

「ひがしのなる」と読みます。

♪東の平~に~意気た~かく~胸こそ躍れ若き身の・・・♪

と、倉吉東中応援歌・・・曲名がさっぱり出てこないのですが、その内の一節の歌詞に唄われている文言です。

似たような名前で「椿の平」と言う地名があります。
こちらも「つばきのたいら」ではなく、「つばきのなる」と呼称します。
イメージ 1
(出展:国土地理院 地図情報ライブラリーより) 

これが「椿の平」です。
さて、私が「東中」在学当時、応援歌練習の時に唄わされた応援歌の中の一節に最初に紹介した歌詞があるのですが、当時「東の平」と言うのが何を意味しているのかさっぱりわかりませんでした。
「平(なる)」と言う呼称が付いてたので、てっきり「椿の平」の事だとばかり思ってたので。
東中に入学する前から、昔の東中は打吹山の麓(現在の倉吉博物館の位置)にあった
と言うのは周知の事実として認識しておりましたら、あの辺りに中学校があったのは知ってたので、東中があったから今の「椿の平」が「東の平」って呼ばれてたんだろう?って妙な理屈を考えてたのを覚えてます。
でも、東中が今現在の場所に移転してからは、東中がなくなってしまったから「東」だとおかしいだろうから「椿」に変えた・・・と(笑)
まあ、随分身勝手な妄想ですよね!!
なので、繰り返しますが、私の中では勝手に東中があった時代は「東の平」、移転してからは東中が居ないので「東」のところを「椿」に変えた・・・と言う認識でした。
いや~・・・知らないという事は恐ろしい(爆)

さて、応援歌に歌われた「東の平」・・・
イメージ 2
(出展:国土地理院 地図情報ライブラリーより)
ここが正式な「東の平」です。

最初のカラー画像と比べてみてください。
何かに気付くでしょ?
そうなんです、この「東の平」と呼ばれた場所・・・今は「倉吉市役所本庁舎」が建っている場所なんです。
つまり、「東の平」と呼ばれたところは、観光地でも公園用地でもなんでもなく、学校の敷地の名称だったのです。
そう、教育と言う神聖な場所、土地だったわけですが、己どもの新庁舎立地の為に学校そのものを移転(言い換えると追い出し)させてその土地を奪取したわけです。

う~ん・・・昔からやり方が変わらない。

あっ!ちなみに、初めて私の記事を読まれる方のために一言言っておきますが、私のこのブログ内では「倉吉市役所」は一方的に「悪者」(ヒール)扱いなのでご了承を!!
(実際はどうなのかはこの際無視です、記事を盛り上げる為にこのブログが終了するその日まで徹底的に「悪」に徹してもらいます)

って事で、話を戻しますが、
そう、「東の平」と言うのは元々が倉吉東中の校庭(グランド)だった場所の名称だったわけで、だから移転した後も応援歌の中にその名残が残っていた!!・・・と言う事だったのです。
後で知って、「そうだったのかぁ~!!」と目からウロコが落ちました。

終戦に伴い、進駐軍による占領政策の一環として、学制改革で学校の制度そのものが戦前とは根本的に変革されました。
皆さんもよく知ってる「6・3・3」です。
6・3・3と聞くと、昔「♪6・3・3で12年、コイズミ学習机~♪」ってCMがあったのを思い出しました(笑)
小学校6年、中学校3年、高等学校3年の6・3・3と言うわけです。
概略ですが、戦前は小学校(国民学校)、高等小学校、中等学校、高校学校(師範学校等)、大学・・・と言う流れで、しかも縦一列で順番に進むわけではなく、小学校を出て中学校(旧制)に行くものもあれば高等小学校へ行くものもあり、また中等学校なども横に並列して同レベルの他種目学校が多数あり、戦後の6・3・3と言う至極単純なコースとは天と地ほどの差があるとても複雑な学制になっておりました。
書いてる私も調べてて頭がおかしくなりそうでした。

と、そんな事で、成徳はそのまま戦後も小学校のままでしたが、戦前の「倉中」(そうちゅうと呼称する)、いわゆる倉吉中等学校は、今の学制で言うところの中学校ではなく、あくまでも旧制の中学と言う位置づけで、戦後は「高等学校」になったわけです。すると、「成徳小学校」→「倉吉高等学校」とはならないわけで、6・3・3の真ん中の「3」が無いわけで、そこで戦後新しく「中学校」として作られたのが今の学制で言うところの「中学校」なわけです。
だから、ミディアムスクールではなく「ジュニア」ハイスクールなのです。
・・・と↑の方は中学生のときにある先生から聞いた受け売りなんですけどね。

と言う事で、戦後新たに設立された「中学校」と言う新組織の為に全国的にあちこちで校舎の建設ラッシュが始まったのだと思います。

終戦直後の混乱期であるのに、全国津々浦々に一律で新しい学校&その設備の整備・・・いやいや当時は大変だっただろうと思います。
巷にはまだ旦那さんやお父さん、お兄さん、弟さんなどが徴兵から復員してない人なども大勢いた世相だったろうに・・・と。
明日食べるものも事欠いてる家庭も膨大にあったと思います。
現に、私の実家ですが当時祖父は岩国の航空隊へ整備兵で召集され不在、長男である父を筆頭に4人兄妹で戦後の混乱期を過ごしたそうですが、一応運の良い事に当時畑・田んぼを所有して細々ながらカツカツで自給出来てたそうですが、それでも戦後の物価の上昇インフレなどが直撃して、ある日「さて、子供らに食べさせるもんが何もないけど・・・どうすりゃええかいの~・・・」と一人ポツっと独り言を言った祖母の姿が忘れられないと聞いたコトがあります。
その言葉通り、その時にはホントに家に何も食べるものが無かったそうで、父もさすがに慌てたそうです。
その後その窮地をどう乗り越えたのかは不明ですが。
まあ、当時は空襲の被害など全くなかった倉吉の市井の人達でさえ、そんな状況だったと言うことです。
そんな中での新築ラッシュ・・・なんだかなぁ~って感じですが、これも歴史ですね。
仕方の無いことです。
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そんなこんなで、落成しちゃいました!新編「倉吉東中学校」校舎
昭和24年ですからねぇ~・・・終戦後まだ4年・・・。
そして、逐次拡張されて学校の体裁も整ってきたようです。
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件の「東の平」からの展望です。更に校舎群、用地の整備なども進んでる感じが見て取れますね。(階段など)

しかし・・・しかしですよ!!
昭和24年に落成した、新生「倉吉東中学校」校舎ですが、その後学校施設、敷地内の拡充・整備も進んで、さてこれから!・・・って時に、まさかの「移転」が・・・

移転先は、旧倉中・・・新生「倉吉東高等学校」旧校舎。
東高は、今の現校舎の場所に新築されたので移転したわけで、旧・校舎が空き家になってるから「東中」はそこへ行け!!・・・と。
で、その敷地は全部「倉吉市役所」ものなのじゃぁ~!!!(悪魔の笑)・・・と。
まさに「鬼畜」の所業ですね。

それに第一、その話が湧いてきたのも昭和も20年代最後の辺りです。
竣工が32年ですからね。
建築してわずか6年ほどして「移転」話・・・しかも残った建物群は全て破却!!
おいおい、いつからそんなに倉吉はお金持ちの街になったんだ!?って言いたくなるような贅沢な予算の使い方ですよね。
しかも、当時としては超斬新な前衛デザイナー「丹下健三」氏のデザインでの建築・・・身の丈にあってない事この上ないって感じです。
まあそんな訳で、あっと言う間に「東の平」も取り上げられ、ジャンジャン工事が始まって・・・あっと言う間に出来ちゃいました!!!
イメージ 5
ジャーン!神聖な学校の敷地を強奪して建築した「立派」な市役所庁舎!!
まさに権力の横暴極まれり!って感じですが、まあこれが約60年ほど前の出来事です。
これが今や国の「登録有形文化財」だそうです。いやはや・・・当時の中学生の涙を知っとるのか?お上は??。
とまあ、こうして「倉吉東中」はその創立の本拠地を追われ、オンボロ空き家の元中等学校の校舎への移転を余儀なくされ、以降約40年近くそのオンボロ校舎での苦痛を味あわされ続けたのでした(もちろんその中には私もいます・笑)。

私が、小学校(成徳)の頃、「椿の平」に遊びに行った時のことですが、当時はまだ「倉吉博物館」も出来てない頃だったので、いわゆる「東中」跡地の光景を覚えてます。
なんとも荒涼とした土地が広がってて、そこへ建物の基礎の部分(コンクリート)の枠と階段だけが寂しく残り、かつてここに何か大きな建築物が建っていたのを彷彿させるのに十分なくらいの生々しい雰囲気が漂っておりました。
その内、いつの頃からか重機などが入ってやたらに土を起こしてたんですが、あっと言う間に綺麗に整地されてしまって、残っていたかつての東中の僅かな痕跡すら永遠に地上から抹消されてしまった時、なんともいえない複雑な想いが去来したのを今も覚えています。まだ中学生でもなかったんですけどね。
その後、跡地には「倉吉博物館」が建立されたのはいいのですが、今度はやれ駐車場がないだのアクセスが悪いだの、市役所自体の手狭感が出てきたらしく、業務に支障が・・・などとほざき出し、拡張政策が始まったのです。
今やかつて消防署だった隣の庁舎もその手中に収め、次は図書館、それでもまだ足りぬ・・・どこか近傍に大きな空いたスペースは・・・「おっ!!!あったじゃん!」と
とうとう我が母校「成徳小学校」の土地まで強奪しようとあらゆる陰謀を画策するに至ったわけであります!!!!

この辺りのことは、既出 市役所の陰謀 に記述してありますので、割愛します。
よろしければご一読どうぞ(笑)

あっ!あくまでも「妄想」の世界の話ですからね!!!

しかし、酷い話です。
行政が己の業務の都合で、学校を好き勝手に移転、統廃合・・・殿様か?
しかも、新築で立てた校舎を10年も経たずに解体・破却・・・どんな予算組んどるんじゃ!?って、今の時代ならプロの市民が出てきて大変な事になるぞぉ~?(笑)
まあ、時代のなせる技ってやつだったのかもしれませんね。

過ぎたるは及ばざるが如し・・・
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もう、二度とこんなのどかな風景を満喫出来る学園は帰って来ません・・・
今はもう「♪東の平~に~意気た~かく~♪」・・・と歌詞の中だけに存在するのみです。